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ぶれない・まげない・妥協しない - 大久保協城 - おおくぼ やすしろ -

  大久保協城 公式ブログ - こんちわ!大久保です。
大久保協城 後援会事務所
〒370-1401 群馬県藤岡市鬼石208-5
TEL 0274-52-5533 FAX 0274-52-6661
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プロフィール img01 氏名 大久保協城 (おおくぼやすしろ)     生年月日 昭和40年6月21日(巳年)生れ:双子座     血液型 B型     家族 妻・長女・次女・長男     学歴 鬼石中学校 卒業
群馬県立万場高等学校 卒業
    特技 空手:2段・剣道:少々     夢中な事 子育て     好きな言葉 正々堂々    
  略歴 平成11年 鬼石町議会議員 初当選 (33歳)    平成12年 自由民主党 群馬県連青年部 幹事長    平成13年 鬼石町議会 議会運営委員会副委員長    平成15年 鬼石町議会議員 2期目当選
鬼石町議会 厚生文教常任委員会副委員長
鬼石町 監査委員
鬼石町青年会議所 理事長
   平成16年 鬼石町消防団第2分団 分団長    平成17年 鬼石町議会 厚生文教常任委員会委員長
自由民主党 群馬県連青年部 青年部長
   平成18年 藤岡市議会議員 (合併特例)
藤岡市消防団第12分団 副分団長
自由民主党 青年部中央常任委員
群馬県防衛協会青年部会西毛支部 理事
   平成19年 藤岡市議会議員選挙 落選(次点)    平成22年 藤岡市消防団 第12分団 副分団長
鬼石小学校PTA 副会長
鬼石幼稚園 評議委員
鬼石商工会 監事
藤岡法人会青年部会 副部会長
藤岡商工会議所青年部 役員
群馬県防衛協会青年部 西毛支部長
   平成23年 藤岡市議会議員選挙 当選
鬼石小学校PTA 会長
   平成25年 教務厚生常任委員長
鬼石中学校PTA 副会長
   平成26年 群馬県防衛協会青年部会 副会長
群馬県アマチュア無線赤十字奉仕団 藤岡分団員
日本防災士会 会員
  
  生い立ち img02 昭和40年、藤岡市(旧多野郡鬼石町)生れ。
妹が一人。
 父親は韓国出身。お袋が嫁いだ昭和30年代後半、差別感が停滞していた。
母親は、安中出身、親父が朝鮮人だということで親戚付き合いは無い。藤岡市に身内もいない。    私が3歳のときに親父はガンで逝った。妹は、生後10ヶ月だった。 その時、私に先天性の心臓病があることが分っていた。     心臓病は、手術をしなければ12歳までの命と言われ、親父が逝った後の4歳の時に手術。運良く成功したが、いつもチビでバカにされた。     親父が2つの事業を営んでいた。土木建設業と一般廃棄物収集業。親父が死んで土木建設業は、間もなく他人のものとなった。   残った一般廃棄物収集業で飯は食えたが、子どもの頃は「うんこ屋」と叩かれた。お袋にこの仕事をやめてくれと泣いて頼んでいる妹の姿は、今も胸に残る。    
 高校3年の時、お袋が倒れた、卒業後は、就職を選択した。何とか3年勤め早々と家業に戻ったが、片親の青二才が、地域でどれだけの者かをすぐさま思い知らされる。   19歳で消防団にも入団、地元青年会議所も仲間に入れてもらい商工会活動にも汗した、政治的活動も下積みを重ねた。付き合いの席も多かった、酒も飲んだ。嫌いじゃなかったから酒は飲んだ。 20歳代の後半に、たまたまの血液検査であろう事かウィルス性の肝炎だと診断された、原因は、子どもの頃の心臓手術での輸血。     3ヶ月間の苦しかった治療は、結果が出せずに終わった。経過観察を続けた2年後、肝臓に腫瘍、悪性だった。すぐに手術を覚悟、その時30歳。   担当の先生から1年、3年、5年が転移や再発の節目と言われ、その後も慎重に経過を診た。     33歳で結婚。そしてこの年に鬼石町議会選挙に立候補。女房のおなかには、既にこどもがいた。 泡沫候補と言われての選挙戦だったが順位は中間、予想外の得票で当選させていただいた。  選挙が終わってしばらくして一児の女の子を授かり、年子で二人目の女の子を授かった。   この頃からお袋の調子が悪く入退院を繰り返すようになった、議員活動、子育て、親の看病とバタバタの4年間は、あっという間に過ぎた。  2期目の選挙は、厳しい選挙選となったがぎりぎりのところで当選をさせていただいた。   この頃から議会では、市町村合併の勉強会、調査などが頻繁になり議員活動も忙しさを増していくなか、家庭では、お袋の在宅介護や育児にと振り廻されていた。当然、家業の仕事など手に付くはずも無く、他人任せとなっていた。     平成16年、お袋が逝った。72歳。  片親で育った者とすると親父も一緒に持っていかれたほど辛かった。どんなかたちであろうと生きてさえ居てくれる事で支えになってくれているのが親だという事を亡くなってみて思う。 この時、38歳。   藤岡市との合併を控え、まだ完治していない肝炎が気になっていた。合併してからでは、とても医者に通っている時間など作れるはずが無いと思い2度目のインターフェロン治療に踏切った。今度は、1年間だ。   心身ともに辛いというのは、こういう事なのだろうとつくづく感じた治療期間だったが、その快あってウィルスをねじ伏せ完治した。
  決 断 「人生いろいろ」幸か不幸か、まだまだ若僧のわりには、そこそこの事を経験させていただいた。
まだこれからも積み重ねていく事、経験しなくてはならない事もある。   政治の原点、それは、弱いものの立場でものが見られるか、公正、公平の判断が出来るか、それぞれの人権を尊重できるか。と考えている。  私に何が出来るか、これからの為に今何をするか。を自分に問いかけ決断する。  
  勇気を持って  子どものころ、お袋によく言われた「片親で育ったからと言って後指を指されるような者になるな、バカになってもバカにされるな。」こんな言葉が今の私を作り上げたのかもしれない。
大久保ももう少し角が取れて丸くなれれば、環境は随分と変わるのにと言われる事もしばしばで、 周りからは、生意気と言われるが、それくらいでなければ言いたい事を言えやしないと考え、市民の負託に応えられるよう一歩踏み出す。

 平成19年の藤岡市議会議員選挙は次点での落選となったが、その後も藤岡市や地域のことに関心を持ち続け、平成23年の選挙に再度挑戦、泡沫候補と言われたが、22人中、19番目で当選させていただいた。
 人口減少時代、地方の在り方が問われる中で自分は、何をするべきかを子育て世代、働き盛り世代として取り組む覚悟を新たにする。